上野廃寺跡 うえのはいじあと
地域 | 海草地域 |
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所在地 | 和歌山市上野 |
指定年月日 | 昭和26年6月9日指定、昭和44年4月12日追加指定 |
指定等区分 | 国指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 和歌山県ほか |
解説
和歌山市東部、和泉山脈南麓の標高約40メートルの丘陵地帯に南面して立地する、奈良時代末期から平安時代初期(8世紀末頃)に建立された古代寺院跡である。
過去の発掘調査により、県内では唯一の双塔伽藍(そうとうがらん)で、西塔と東塔の中間点を中心軸として、北に講堂、南に中門、西塔の西側に講堂が築かれ、講堂と中門とつながる回廊が周囲に廻っていることが明らかになった。伽藍配置の中心部では木製と推定される灯籠跡が検出された。奈良の薬師寺に似た配置から「紀伊薬師寺」とも呼ばれている。塔は、東塔の方が基壇の規模が大きく、基壇縁の化粧も西塔が瓦積みで、東塔が專(せん)積みで、東塔の優位性が見られる。講堂では本尊の台座基礎と須弥壇(しゅみだん)が確認されている。
多数の瓦類や仏像の破片、釘などの金属製品が出土しているが、軒丸瓦や軒平瓦の文様には朝鮮半島の新羅系要素を示すものも見られ、当寺の出現背景に渡来人やその子孫が関わっている可能性も指摘されている。