鳴神貝塚 なるかみかいづか
地域 | 海草地域 |
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所在地 | 和歌山市鳴神 |
指定年月日 | 昭和6年7月31日指定 |
指定等区分 | 国指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 個人 |
管理団体 | 和歌山市 |
解説
鳴神貝塚は紀の川南岸の花山(はなやま)丘陵南西端の標高6~10メートルの斜面に位置している。明治28年(1895年)に近畿地方で最初に発見された縄文時代の貝塚で、古代の生活環境や地形を考える上で重要な遺跡である。
出土する土器は縄文時代中期から晩期(約5500年前から約2500年前)にかけてのものが多いが、弥生時代前期の土器も少量出土している。縄文時代晩期の墓からは、儀礼のために歯を抜いた若い女性の遺骸が発見されている。鹹水貝塚(かんすいかいづか)といわれ、カキ・ハマグリ・サザエなどの貝類やシカ・イノシシ・クマなどの獣骨、石斧(せきふ)、石鏃(せきぞく)、石錐(せきすい)、石庖丁(いしぼうちょう)などが出土している。
史跡の北西隣接地で近年の発掘調査により貝層と複数の墓が検出されており、貝塚の範囲が史跡指定地外にも広がっていることが確認された。