野上八幡宮本殿 のかみはちまんぐうほんでん
員数 | 1棟 |
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構成要素 | 附指定:棟札1枚 |
地域 | 海草地域 |
所在地 | 海草郡紀美野町小畑625 |
時代 | 室町時代後期 |
指定年月日 | 昭和19年9月5日指定 |
指定等区分 | 国指定 |
文化財分類 | 有形文化財(建造物) |
所有者 | 野上八幡宮 |
解説
貴志川中流域に開けた小畑(しょうばた)の丘陵南麓に所在する。欽明天皇の代に創祀(そうし)され、万寿2年(1025年)の勅命で阿波の国司が本殿などを造営したと伝える。しかし、野上荘(のかみのしょう)は石清水八幡宮に属しており、実際は石清水社の別宮(べつぐう)として勧請されたものと思われる。延久4年(1072年)の太政官牒(だいじょうかんちょう)に既にその名が見える。天文10年(1541年)には根来衆徒の焼き討ちにより社殿などを失ったが、弘治3年(1557年)には本殿と平野今木(ひらのいまき)神社の再建に着手し、元亀から天正年間にかけて、他の社殿も含めて再建事業を完成させた。
本殿は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の建物で、棟札により元亀3年(1572年)に建築されたことが分かる。背面等に低い腰掛状の壇を取り付けるなど、県内の他の神社建築とは異なる形式を持っている。境内の他の社殿と比べ屋根が緩やかで、破風板(はふいた)は折り曲げたような曲線を持ち、組物(くみもの)や建築彫刻も簡素な形式とするなど、古い様式や形式を持っており、神社の中心となる建物として古い形で再建したと見られる。