鞆淵八幡神社本殿 ともぶちはちまんじんじゃほんでん
員数 | 1棟 |
---|---|
構成要素 | 附指定:棟札8枚 |
地域 | 那賀地域 |
所在地 | 紀の川市中鞆渕58 |
時代 | 室町時代中期 |
指定年月日 | 昭和11年4月20日指定 |
指定等区分 | 国指定 |
文化財分類 | 有形文化財(建造物) |
所有者 | 鞆淵八幡神社 |
解説
紀の川の支流真国川(まくにがわ)に沿った北側の台地に位置する。祭神は仲哀天皇、応神天皇、姫大神(ひめのおおかみ)とする。神社の創建は明らかでないが、寛弘5年(1008年)の官寺牒国衙状によれば、当時既に八幡神社領として夫役(ぶやく)、租税の免除地であったと記されている。『紀伊続風土記』によれば、帝の詔勅により安貞2年(1228年)に石清水八幡宮を遷座したことが記され、社蔵の神輿(しんよ)(国宝)は同年、石清水八幡宮から送られたものという。建武年間(1334年~1338年)には後醍醐天皇によって、当荘園が高野山に寄進されたことにより、次第にその支配下に組み込まれていった。
本殿は、棟札によると寛正3年(1462年)に再建されたもので、構造手法も室町時代中期の建築の特徴をよく表している。三間社流造(さんげんしゃながれづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の社殿で、正面に一間の向拝(こうはい)を付ける。この本殿は県内には類例のないいわゆる「前室(ぜんしつ)付き」の三間社流造で、蟇股(かえるまた)や手挟(たばさ)み等の彫刻は京都系の細部意匠を持っており、石清水八幡宮の別宮(べつぐう)として創建された当社の京都との関係が窺える。屋根は現在檜皮葺であるが、先年の調査により元は厚板葺(あついたぶき)であったことが判明した。