郭家住宅 かくけじゅうたく
員数 | 10棟 |
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構成要素 | 洋館(ようかん)、診察棟(しんさつとう)、座敷、離れ、米蔵、東土蔵、南土蔵、風呂、外便所(そとべんじょ)、表門及び石塀(いしベい) |
地域 | 海草地域 |
所在地 | 和歌山市今福一丁目6-6 |
時代 | 江戸時代末期~大正時代 |
指定年月日 | 平成9年9月3日登録、令和6年8月15日指定 |
指定等区分 | 国指定 |
文化財分類 | 有形文化財(建造物) |
所有者 | 個人 |
解説
郭家は中国から帰化し、代々紀州藩の藩医を務めた家柄である。明治10年(1877年)に完成したと伝わる洋館を建築したのは7代目の郭百甫(かくひゃくすけ)で、明治初期の和歌山で医学校や付属病院の開設に大きな役割を果たした。この洋館は内外を洋風の造りにした2階建ての建物で、患者の待合室、薬局、応接などに用いられた。当時、洋館の建設が盛んであった神戸の大工によって建築されたと伝えられ、このような大工が見よう見まねで建築した洋風建築を「擬洋風(ぎようふう)建築」と呼ぶ。
建築の形式は広いベランダを持つコロニアルスタイルである。診察は洋館の裏に続く和室で座って行われた。洋館・診察室の他に座敷、離れ、土蔵などがあり、これらは江戸時代末期の建築といわれ、特に座敷は、紀州藩士であった伊達家(陸奥宗光の生家)から移築したと伝えられており、茶室を含む数寄屋(すきや)建築である。道路沿いの塀と門柱は大正14年(1925年)頃に造られた。
洋館を持つ明治初期の医院として、また幕末の武家住宅として、非常に貴重な建造物であるとともに、和歌山に残る最も古い洋館として知られている。