常喜院校倉 じょうきいんあぜくら
員数 | 1棟 |
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地域 | 伊都地域 |
所在地 | 伊都郡高野町高野山365 |
時代 | 江戸時代 |
指定年月日 | 昭和38年7月30日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 有形文化財(建造物) |
所有者 | 常喜院 |
解説
普賢院四脚門(ふげんいんしきゃくもん)とともに旧行人方(ぎょうにんがた)東照宮の建物であり、明治25年(1892年)に移築され、かつては経蔵(きょうぞう)と呼ばれていた。校木(あぜぎ)が同一の高さに納められ、組物(くみもの)を備えるという特色を持ち、組物に繧繝(うんげん)彩色、軸部に丹塗(にぬり)が施されている。組物の様式などから17世紀末から18世紀初頭に造営されたものと考えられる。江戸時代の校倉として貴重な遺構である。