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常喜院 じょうきいん

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員数 4棟
地域 伊都地域
所在地 伊都郡高野町大字高野山字南谷364、365
時代 江戸末期~明治後期、昭和中期
指定年月日 令和7年3月13日登録
指定等区分 国登録
種類 有形文化財(建造物)
所有者 宗教法人最勝院、宗教法人常喜院

解説

常喜院は高野山の中心部に位置する高野山真言宗の寺院である。常喜院は、古くは往生院谷に位置する聖方(ひじりかた)の寺院であったが、江戸時代には行人方(ぎょうにんかた)に属した。旧地での火災で境内を類焼し明治3年(1870)に最勝院のあった現在地に移転した。壇上伽藍へ向かう蛇腹路(じゃばらみち)の南にとられた東西に長い境内には、東に山門を構えて正門とし、続いて西に客殿、拝殿、本堂を並べて建てる。
常喜院本堂(旧最勝院本堂)は江戸時代末期に建設された最勝院時代からの本堂である。土蔵造平屋建、銅板葺屋根で、昭和41年(1966)に背面側に増築し現在の形になった。北側に護摩堂を併設する複合仏堂で、火災に強い土蔵造である点に特徴があり、高野山寺院の本堂建築の一つの典型を見せる。
客殿は常喜院が現在地に移転した明治前期に建設されたものとみられ、玄関が昭和41年(1966)に増築された。木造平屋建、銅板葺屋根とし、大広間や仏間、書院座敷、台所を合わせた規模の大きな建造物で、書院座敷の上段の間は繊細な意匠を備え高い格式を誇る。
拝殿は日露戦争の戦没者慰霊塔を参拝するための拝殿として、明治43年(1910)頃に高野山の他寺院の客殿を転用・移築して建設された。戦後に慰霊塔を本堂前の現位置に移設したことにより、拝殿としての役割はなくなり、以降現在に至るまで宿坊施設の一つとして使われている。木造平屋建、銅板葺屋根で、正面と背面に軒唐破風を付けた特徴ある外観を示す。客殿同様に上段の間を備えた書院座敷が設けられ高い格式を示す。
山門は昭和30年(1955)頃に堂宮大工辻本喜次の設計施工で建てられたと伝える。辻本
家は高野山で代々続く棟梁家で、高野山内には金剛峯寺奧之院御供所(ごくしょ)、光臺院多宝塔等の作品が残る。木造四脚門、銅板葺で建ちが高く比較的大ぶりな門であ
る。古代や中世の社寺建築から引用した華やかな細部意匠を持つ点に特徴があり、常喜院の正門として歴史的景観の形成に寄与している。