金剛峯寺 こんごうぶじ
| 員数 | 12棟 |
|---|---|
| 地域 | 伊都地域 |
| 所在地 | 伊都郡高野町大字高野山132ほか |
| 時代 | 大正前期~昭和後期 |
| 指定年月日 | 令和7年3月13日登録 |
| 指定等区分 | 国登録 |
| 種類 | 有形文化財(建造物) |
| 所有者 | 宗教法人金剛峯寺 |
解説
金剛峯寺は高野山の中心部に位置する高野山真言宗の総本山寺院である。敷地東側には重要文化財(建造物)金剛峯寺本坊が所在し、西側には近代以降に整備された迎賓施設群が所在する。
西側の敷地中央に奥殿が建ち、東に別殿と応接室が奥殿渡廊下で接続する。奥殿の北西隅には新書院と真松庵が接続し、敷地北辺には阿字観堂が建つ。奥殿周囲には蟠龍庭(ばんりゅうてい)と呼ばれる石庭が広がり、庭の南側は勅使門と奥殿塀で区画される。
奥殿、別殿、奥殿渡廊下、勅使門、奥殿塀は昭和9年(1934)の弘法大師御入定(ごにゅうじょう)1100年御遠忌(ごおんき)を記念して建てられた。金堂や根本大塔の再建に携わった大浦徳太郎(おおうらとくたろう)がこれらの監督技師を務めた。奥殿は皇族用の貴賓室として使われる客殿で、内部は貴賓用の上質な和室を8室並べ、正面には応接空間である玄関を突き出す。良材を多用し、中世風の玄関をはじめ随所に古式な要素を取り入れた格式高い客殿である。来賓向けに荘厳された奥殿に対し、別殿は僧侶や一般信徒に向けた落ち着いた意匠の大規模かつ上質な客殿である。
新書院、真松庵、応接室は昭和40年(1965)の高野山開創1150年を記念して建てられた。新書院は資産家生島五郎兵衛(いくしまごろべえ)の寄進により神戸から当地へ移築され、奥殿と同様に貴賓室として使われる。昭和46年(1971)には平成の天皇皇后両陛下が、昭和52年(1977)には昭和天皇皇后両
陛下がご宿泊された。内部は障壁画等で華やかに飾られ、格式高く造られた書院座敷である。真松庵は松下幸之助により寄進された貴賓用の茶室である。軒の高さを抑えた落ち着いた外観で、内部には凝った造りの天井や面皮(めんかわ)付柱を用いた上質な数寄屋建築である。
阿字観堂は昭和42年(1967)、高野山の堂宮大工辻本喜次(つじもとよしつぐ)が設計施工を担った高野山内唯一の阿字観道場である。阿字観とは真言宗における瞑想法の一つである。近世以前の建築様式が巧みに取り入れられ、高野山工匠の技術力の確かさを伝える建造物である。
これらはいずれも高野山真言宗の総本山寺院において、皇族をはじめとする賓客をもてなすにふさわしい格式を備えた建造物群であり、文化財として価値が高い。
六角経蔵はこの壇上伽藍内に建つ経蔵で、伽藍の中心となる金堂(こんどう)の南西に位置する。二重の六角経蔵で、昭和7年(1932)に竹中工務店の設計施工で再建された。鉄筋コンクリート造を主構造としながら、壁や軒は木造とする混構造である。回転させることで
経典を読経した功徳を得るとされる大鉄輪を備え、参拝者は把手(はしゅ)(取っ手)で押して鉄輪を回転させることができる。壇上伽藍にふさわしく伝統的で整った形姿の経蔵である。
鐘楼と浄水所は、高野山開創1150年記念大法会の事業の一環として昭和33年(1958)に建てられた。鐘楼は金堂の南東に位置し、高野四郎の名で親しまれる大鐘を吊る。鉄筋コンクリート造で、高い基壇上に建ち、四方を吹き放しに造る。設計施工は株式会社あめりか屋である。金堂や根本大塔と調和するよう細部には復古的な意匠を採用する。軒まわりを華やかに造り、軒の出を深く取った堂々とした姿の鐘楼である。
浄水所は壇上伽藍東端の蛇腹道(じゃばらみち)沿いに位置し、純白の外観が目を引く鉄筋コンクリート造の手水舎である。参道から南面に張り出した基壇上に建ち、四方を吹き放しに造り、中央に水盤を据える。正面を除く三方には、直線を基調とした刎高欄(はねこうらん)様の金属製手摺を建てる。簡明な造りながら要所に装飾を施し、壇上伽藍に相応しい意匠にまとめられた規模の大きな手水舎である。