女人堂 にょにんどう
員数 | 1棟 |
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地域 | 伊都地域 |
所在地 | 伊都郡高野町高野山709 |
時代 | 江戸時代前期 |
指定年月日 | 令和6年3月4日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 有形文化財(建造物) |
所有者 | 金剛峯寺 |
解説
江戸時代まで女性の高野山参詣者が宿泊した住宅風の仏堂である。明治5年(1872年)までは高野山は女人禁制であり、女性は高野山外周を囲むように巡る女人道から参拝し、高野七口の各口に女人堂が設けられた。この女人堂は、高野七口のうち不動坂口に位置し、現存する唯一の女人堂である。宗教法人金剛峯寺が所有し管理・公開されている。
建設年代は不明であるが、室町時代後期の部材を一部使用して江戸時代前期に再建されたと考えられる。江戸時代末期に内陣を拡張し、大正4年(1915年)の高野山開創1100年記念大法会に当たり、地盤を掘り下げて3メートルほど下に移設され、この際正面側内部の床が撤去された。また、昭和58年(1983年)には檜皮葺から銅板葺に改められた。
間口11.9メートル、奥行7.1メートル、入母屋造、銅板葺で、西面して建つ。現状は正面側を土間、背面側に床を造る。背面側は中央間を内陣とし、脇間は前後に間仕切り小部屋を設ける。柱は角柱に造り、組物は正背面を除き舟肘木(ふなひじき)とする。軒は一軒疎垂木(ひとのきまばらたるき)で、化粧木舞(こまい)を打つ。屋根の妻飾は木連(きつれ)格子に造る。
各期にわたって改造がなされてきた堂であるが、小屋組は当初形式を良く留めている。この小屋組に残る痕跡より当初の柱位置や天井形式が明らかである。建設当初は正面側に吹き放しの縁側を設け、背面側中央間を仏間とするほかはコ字形の広い一室に造られていた。
明治5年まで女人禁制であった高野山参詣の信仰形態を伝える、現存唯一の建造物であり、建設後の改修は多く見られるものの構造材は当初の部材を良く残しており、近世、近代を通じて継承されてきた女人堂の変遷を知ることができる貴重な文化財である。