向井家住宅 むかいけじゅうたく
員数 | 4棟 |
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構成要素 | 主屋(おもや)、土蔵(どぞう)、表門及び袖塀(そでべい)、塀 |
地域 | 海草地域 |
所在地 | 和歌山市加太1394 |
時代 | 江戸時代末期、昭和前期 |
指定年月日 | 令和3年2月4日登録 |
指定等区分 | 国登録 |
文化財分類 | 有形文化財(建造物) |
所有者 | 個人 |
解説
和歌山市加太に所在する住宅である。鎌倉時代後期以降、葛城修験(かつらぎしゅげん)の一之宿であった伽陀寺(かだじ)の別当職(べっとうしょく)を務めた向井家は、「迎ノ坊(むかえのぼう)」と称されている。本山派修験道の本山である京都の聖護院との関わりが強く、現在も行われている聖護院の葛城入峰(にゅうぶ)の際には聖護院が当家に立ち寄っている。
屋敷は旧淡嶋街道に面して、表門及び袖塀を構え、敷地中央に引き込んで主屋を建てる。主屋の北側には土蔵が建てられている。
主屋は木造、平屋建、入母屋造、瓦葺である。棟札が残されており、向井嘉左衛門により万延元年(1860年)5月4日に上棟したこと、材料は同家支配の地から調達したこと、また加太や本脇、深山(みやま)の大工が関わったことが知られる。
主屋は整形四間取形式で、正面側には10畳間の部屋を2室並べ、西側の部屋を主室の座敷とし、床の間を設け仏壇を構える。各室はいずれも畳敷であるが、天井を大引天井とし、長押(なげし)は打たず太い梁を使用した堅固な造りになる。正面には格子を構え、屋根には煙出しを載せており、伝統的な住宅の造りを良く保っている。
土蔵は土蔵造、平屋建、切妻造、瓦葺である。建築年は不明であるが、江戸時代末期の建設と考えられる。比較的建ちの低い、小規模な土蔵であるが、中央部に土戸を構え、正面庇(ひさし)は重厚な持送りで支える。
表門及び袖塀は木造、平屋建、瓦葺の門構えに、塀を両側に設けるものである。建設年代は不明であるが、昭和前期に建設されたものと考えられる。
主屋は万延元年に建設されたことが明らかで、ほぼ同時期の土蔵に加え、昭和前期の表門や塀よりなるもので、中世から続いてきた葛城修験との関わりを今も残しつつ、加太の町並みの歴史的景観に寄与している貴重な文化財である。