感應寺 かんのうじ
員数 | 2棟 |
---|---|
構成要素 | 七面堂本殿(旧三十番神堂)(しちめんどうほんでん(きゅうさんじゅうばんしんどう))、七面堂拝殿(しちめんどうはいでん) |
地域 | 海草地域 |
所在地 | 和歌山市鷹匠町六丁目16 |
時代 | 江戸時代 |
指定年月日 | 令和4年2月16日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 有形文化財(建造物) |
所有者 | 感應寺 |
解説
和歌山市鷹匠町(たかじょうまち)に所在する日蓮宗寺院である。元和6年(1620年)に紀伊藩の命により、駿府国の感應寺を分寺して創建された。寛永4年(1627年)から同5年(1628年)にかけて、本堂や鐘楼、三十番神堂などが建設され、伽藍を整えたが、慶應4年(1868年)の火災で多くの建物を焼失した。
七面堂本殿は現在七面天女を祀っているが、かつての「三十番神堂」で、日蓮宗の信仰が篤かった瑤林院(ようりんいん)(初代藩主徳川頼宣の正室)の発願(ほつがん)で寛永4年に建設されたとされる。幸いなことに慶應4年の火災を免れ、現在に至る。一間社流造(いっけんしゃながれづくり)、こけら葺屋根で、全国的にもよく見られる流造の神社本殿の形式であるが、木鼻(きばな)など各部の文様には時代性が表れている。
七面堂拝殿は、入母屋造、瓦葺で、三間仏堂の形式になる。拝殿は明治時代末期に高野山麓の寺院から移築したもので、江戸時代中期の建設と考えられる。
本殿はかつての三十番神堂であり、江戸時代に遡る三十番神堂は全国的にも例が少ない。また、紀伊藩が建設に関わった建物の遺例としても貴重である。