丹生官省符神社本殿 にうかんしょうふじんじゃほんでん
員数 | 3棟 |
---|---|
構成要素 | 附指定:宮殿4基、棟札2枚 |
地域 | 伊都地域 |
所在地 | 伊都郡九度山町慈尊院835 |
時代 | 室町時代後期 |
指定年月日 | 昭和40年5月29日指定 |
指定等区分 | 国指定 |
文化財分類 | 有形文化財(建造物) |
所有者 | 丹生官省符神社 |
解説
高野山領であった官省符荘(かんしょうふしょう)の鎮守で、空海が高野山を開創するに当たり、この地に政所(まんどころ)を置いたことと関わり勧請(かんじょう)されたものという。15世紀中頃から紀の川の氾濫を危惧して社地の移転が企てられ、現在の社殿は新たなこの地に永正14年(1517年)に建てられたものと考えられる。
本殿はほとんど同規模の檜皮葺(ひわだぶき)の一間社春日造(いっけんしゃかすがづくり)で、3社が並立している。右の2社は同形式で墨書(ぼくしょ)から永正14年(1517年)、左の1社は棟札から天文10年(1541年)に建てられたことが分かる。規模は大きくないが、細部彫刻等に優れた華麗な姿の春日造社殿である。