和歌山県教育庁生涯学習局文化遺産課
〒640-8585和歌山市小松原通一丁目1番地
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和歌山市
天平文化の創始者 聖武天皇の史跡を訪ねるコース
聖武天皇(701~756)は、文武天皇の第一皇子で、母は藤原不比等の娘・宮子である。律令国家完成期の華やかな貴族文化である天平文化を築いた中心人物である。また、国家仏教の隆盛に尽力し、諸国に国分寺・国分尼寺を建立し、東大寺に大仏を造立したことはあまりにも有名である。 神亀元年(724年)、23歳で即位した聖武天皇は、10月8日に紀伊国に行幸し和歌の浦に到着し、その後14日間滞在した。その時に、次のような詔(みことのり)を出している。 「山に登り海を望むに、此間最も好し。遠行を労せずして、遊覧するに足れり。故に弱浜(わかはま)の名を改めて、明光浦(あかのうら)とす。守戸を置きて荒穢せしむことなかるべし。春秋二時に、官人を差し遣して、玉津島の神、明光浦の霊を奠祭せしめよ」(『続日本紀』) この行幸に同行した万葉歌人山部赤人が詠んだのは、まさしく干潟が大きく広がる和歌の浦の景観であった。 「若の浦に 潮満ちくれば 潟を無み 芦辺をさして 鶴鳴き渡る」(万葉集巻6・919番) このように聖武天皇と和歌の浦とは深い縁があり、その後も天平神護元年(765年)10月に称徳天皇、延暦23年(804年)10月に桓武天皇が和歌の浦に行幸している。一説によると天皇家が祀る伊勢神宮と、平城京を中心として対称の位置関係にある和歌の浦が行幸の地として選ばれたともいわれている。
海草地域
悲劇の皇子 有間皇子の史跡を訪ねるコース
有間皇子(ありまのみこ・640~658)は、孝徳天皇の皇子であり、654年に天皇が崩御されてからは、有力な皇位継承者とみられていた。ただ、当時は、大化の改新の出来事をきっかけとして中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が政治の実権を握っており、古人大兄皇子(ふるひとのおおえのおうじ)や蘇我石川麻呂などが謀反の疑いをかけられて討伐されていた。有間皇子も中大兄皇子による粛清を恐れて心の病を装い、治療のために、657年9月に紀伊の牟婁の湯(現在の白浜町湯崎温泉)を訪れている。帰京後に有間皇子は、斉明天皇に病気が治癒したと報告し、牟婁の湯に行幸することを薦めた。翌658年10月に斎明天皇は、中大兄皇子たちと牟婁の湯を訪れた。天皇達が留守であった飛鳥京では、蘇我赤兄(そがのあかえ)が有間皇子に近づき、斉明天皇と中大兄皇子の討伐をそそのかした。有間皇子は謀略にのせられて討伐の意を示したが、すぐに中大兄皇子に知られ、捕らえられて天皇と中大兄皇子の居た牟婁の湯に11月9日に護送されてきた。中大兄皇子らの詮議を受け、11月11日に海南市の藤白坂周辺で処刑されたという。海南市の藤白神社境内には、有間皇子神社が祀られ、近辺には、墓石と歌碑が置かれている。 御坊市の岩内3号墳では、豪華な副葬品である銀装太刀や漆塗棺、7世紀代の土器などが横穴式石室から出土しており、有間皇子の墓ではないかという説がある。
那賀地域
海を渡った古代騎馬豪族 紀氏一族の史跡を訪ねるコース
紀の川の河口地帯には、古墳時代に紀氏と呼ばれる集団が居住していた。日本書記には紀氏一族がたびたび朝鮮半島に出征したことが記録されている。日前・国懸神宮(日前宮)を奉祀し、宮井用水を掘削して周辺を開墾し、岩橋山塊一帯に多くの古墳を築いた集団だと考えられている。大谷古墳からは、武器や装飾品など多数の副葬品とともに、日本では2例しかない朝鮮半島製の馬冑と馬甲が出土している。このことから大谷古墳の被葬者像として、紀氏一族の有力者で、半島に出兵し、武装して騎馬に乗った勇壮な武人の姿が浮かび上がってくる。古代より紀伊国は、木の国とも呼ばれて楠や杉などが多く産出し、紀氏一族は造船技術と航海技術に長け、大和朝廷の水軍の主力部隊だったと推定されている。昭和57年(1982年)に、和歌山市鳴滝で発見された7棟からなる大倉庫群は、朝鮮半島出兵時の物資の集積機能を担っていたとも推定されている。
東牟婁地域
東牟婁地域2日コース
東牟婁地域2日コースには、熊野三山の熊野速玉大社と熊野那智大社がある。また、古座川の一枚岩や高池の虫喰岩、橋杭岩など奇岩や巨岩などの地質構造に関わる天然記念物や那智大滝や瀞八丁、勝浦海岸(紀の松島)、海金剛などの自然的名勝が多数存在する。串本町大島には、明治22年(1890年)に遭難したトルコ軍艦エルトゥールル号に関連した史跡がある。
東牟婁地域1日コース
東牟婁地域1日コースは、串本町大島の明治22年(1890年)に遭難したトルコ軍艦エルトゥールル号に関連した史跡と灯台を見て、潮岬、橋杭岩を経て熊野三山の熊野那智大社と熊野速玉大社を巡るコースである。熊野速玉大社神倉山社殿前と新宮城天守台からの熊野灘の眺望は絶景である。
西牟婁地域
西牟婁地域2日コース
西牟婁地域2日コースは、白浜町の海岸部の円月島や千畳敷などの美しい自然的名勝を鑑賞し、草堂寺奥の富田坂から日置川の安居(あご)の渡し場を経て仏坂へ至る熊野参詣道大辺路と田辺から熊野本宮大社までの熊野参詣道中辺路を巡るコースである。大辺路では、樹々の間から美しい海岸線が見られ、内陸部の中辺路では、熊野参詣に関わる数々の伝承地と深い山々と富田川や熊野川の美しい渓流が見られる。
西牟婁地域中辺路1日コース
西牟婁地域中辺路1日コースは、田辺市の白鳳寺院である三栖廃寺跡から熊野参詣道中辺路の八上王子跡から滝尻王子跡などを経て熊野本宮大社へと至るコースである。途中には、中辺路のシンボルとして親しまれている牛馬童子像や継桜王子跡の野中の一方杉の巨木など見所が多い。田中神社の森(県指定天然記念物)は南方熊楠のフィールドワークの地であり、樹木にノダフジとよばれる藤の巨木が絡まり、周辺の水田では、大賀ハスと呼ばれる古代ハスが生育されて、初夏の開花時には大変美しい。
西牟婁地域大辺路1日コース
西牟婁地域大辺路1日コースは、縄文時代の貝塚や南方熊楠の墓所のある高山寺、古墳時代に岩陰に墓が築かれている磯間岩陰遺跡、白浜町の海岸部の円月島や千畳敷などの美しい自然的名勝を鑑賞し、富田川のオオウナギ生息地である十九淵(つづらふち)を経て、草堂寺から熊野参詣道大辺路に入り、富田坂から日置川の安居(あご)の渡し場を経て仏坂へ至るコースである。
日高地域
日高地域1日コース
日高地域には、広川町から日高町、御坊市、印南町、みなべ町へと続く熊野参詣道と王子社が存在し、鹿ヶ瀬峠(ししがせとうげ)には、県内で最長の500mにも及ぶ石畳が存在する。また、日高川町には安珍と清姫の伝説で有名な道成寺があり、日高町には、江戸時代後期の高僧であった徳本上人(とくほんしょうにん)が生まれた誕生院が存在し、記念碑が建立されている。海岸部には県の名勝・天然記念物の千里の浜があり、万葉集以来数々の歌に詠まれ、アカウミガメの産卵地としても有名である。
有田地域
有田地域1日コース
有田地域には、醤油醸造で有名な湯浅町湯浅伝統的建造物群保存地区や有田川の河岸段丘上に扇状に美しく棚田が展開する文化的景観が素晴らしい蘭島(あらぎじま)があり、深専寺の「大地震津波心得の記」碑や広村堤防とそれを築いた浜口梧陵の墓など、南海大地震に関連する史跡が存在する。また、鎌倉時代の地元出身の高僧であった明恵上人(みょうえしょうにん)に関連する史跡が多数存在し、西白上遺跡から臨む湯浅湾の眺望は、絶景である。
海草地域1日コース
海草地域には、名勝庭園の琴ノ浦温山荘庭園や野上八幡宮、三郷八幡神社、善福院釈迦堂、長保寺の建造物など、重要文化財や国宝に指定されている神社仏閣が多数存在する。また、藤白神社から有田方面へと熊野参詣道が続いており、沿道には昔の面影を残した王子社が見られる。藤白神社周辺には、全国の鈴木氏のルーツであるといわれる鈴木屋敷や古代に紀伊国で処刑された有間皇子(ありまのみこ)の神社が祀られ、近辺には、墓石と歌碑が置かれている。
伊都地域
伊都地域2日コース
伊都地域2日コースには、真言宗の開祖である空海が創建した、高野山真言宗総本山金剛峯寺、慈尊院などがあり、日本三大霊場の一つとして知られている。奥の院には、織田信長や豊臣秀吉など全国の名だたる戦国大名の墓石など20万基を超える石造物が杉並木の中に苔むして佇み、神秘的な雰囲気を醸し出している。高野山女人道は、内外八葉といわれる高野山を取り囲む山々を巡る約14kmの道で、摩尼山や弁天岳などの山頂からの眺望は素晴らしく、近年、モミやツガ、スギなどの針葉樹の中の清浄な空気の中を巡る森林セラピーと呼ばれるウォーキングを楽しむ人が増えている。