稲村の火、生ける神 濱口梧陵の故地を訪ねるコース
有田地域
濱口梧陵(はまぐちごりょう・1820~1885年)は、濱口梧陵は紀伊国広村(現在の和歌山県有田郡広川町)出身の実業家であり政治家であり社会事業家でもあった。特に、安政元年(1854)12月24日夜に広村を襲った南海地震の津波から人々を救った「稲むらの火」の物語で有名である。梧陵は雅号で、幼名は七太、後に成側と改めた。紀州湯浅の醤油商人である濱口分家、七右衛門の長男として生まれた。12才で本家である濱口儀兵衛家の養子となって銚子に移った。その後、江戸で洋学者佐久間象山などに師事し見聞を広めている。30才で帰郷し、醤油醸造などの事業を行った。嘉永5年(1852)耐久社(県史跡)を設立し、嘉永7年(1854)に七代目濱口儀兵衛を襲名した。