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南海道の重鎮 紀州徳川家の史跡を訪ねるコース

和歌山市

元和5年(1619)、徳川家康の第十子頼宣が紀州に伊勢の一部を加えた五十五万石余を領有して入国し、徳川御三家の一つとなった。二代将軍秀忠による頼宣の紀州への転封は、大阪や京都に近く、海上交通の要衝地で地形的にも、政治的にも重要な位置を占める紀州を徳川一門で占める必要があったものと考えられている。
頼宣は、すぐに和歌山城の大改修を行い、ほぼ現在の形の城の陣容が整った。また、同時に入国した、附家老の安藤直次は田辺に、水野重央は新宮の支配を任されて、支藩のような領国経営を行った。
頼宣は、和歌の浦の権現山に東照宮を造営して父家康他を祀り、高野山には家康と秀忠の霊屋を建築した。また、海南市の長保寺を菩提寺とし、同地に歴代藩主の墓所が築かれることとなった。