天平文化の創始者 聖武天皇の史跡を訪ねるコース
和歌山市
聖武天皇(701~756)は、文武天皇の第一皇子で、母は藤原不比等の娘・宮子である。律令国家完成期の華やかな貴族文化である天平文化を築いた中心人物である。また、国家仏教の隆盛に尽力し、諸国に国分寺・国分尼寺を建立し、東大寺に大仏を造立したことはあまりにも有名である。
神亀元年(724年)、23歳で即位した聖武天皇は、10月8日に紀伊国に行幸し和歌の浦に到着し、その後14日間滞在した。その時に、次のような詔(みことのり)を出している。
「山に登り海を望むに、此間最も好し。遠行を労せずして、遊覧するに足れり。故に弱浜(わかはま)の名を改めて、明光浦(あかのうら)とす。守戸を置きて荒穢せしむことなかるべし。春秋二時に、官人を差し遣して、玉津島の神、明光浦の霊を奠祭せしめよ」(『続日本紀』)
この行幸に同行した万葉歌人山部赤人が詠んだのは、まさしく干潟が大きく広がる和歌の浦の景観であった。
「若の浦に 潮満ちくれば 潟を無み 芦辺をさして 鶴鳴き渡る」(万葉集巻6・919番)
このように聖武天皇と和歌の浦とは深い縁があり、その後も天平神護元年(765年)10月に称徳天皇、延暦23年(804年)10月に桓武天皇が和歌の浦に行幸している。一説によると天皇家が祀る伊勢神宮と、平城京を中心として対称の位置関係にある和歌の浦が行幸の地として選ばれたともいわれている。