仏井戸・上野王子旧地(熊野参詣道 紀伊路) ほとけいど・うえのおうじきゅうち(くまのさんけいみち きいじ)
員数 | 135.38平方メートル |
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地域 | 日高地域 |
所在地 | 御坊市名田町上野 |
指定年月日 | 平成24年7月20日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
分類 | 史跡 |
所有者 | 個人、上野区、御坊市 |
解説
御坊市名田町上野に所在し、熊野参詣道紀伊路に隣接する。江戸時代後期に編纂された紀伊国の地誌である『紀伊続風土記』や『紀伊国名所図会』には、仏井戸が上野王子の旧地であると記され、老人が仏井戸を拝んでいる絵図とともに紹介している。
仏井戸は、地下に方形石組遺構を組み、階段を降りて正面、北側の壁面の石材(幅約60センチ、高さ約44センチ)に石仏三体が彫られている。中央には阿弥陀如来坐像、その左に地蔵菩薩立像、右に観音菩薩立像である。像高は約25センチ、室町時代末期頃の作と推定される。普段は井戸の水の中にあるため、見ることができない。仏井戸のように仏像を井戸の中に祀ることは珍しいと思われる。
上野王子については、平安時代末期に書かれた藤原宗忠の日記である『中右記』天仁2年(1109年)10月19日の条において、「於上野坂上祓次昼養ス」と記しており、王子社の名は見えないが、お祓いをして昼食を食事をとっている。また、後鳥羽院の熊野御幸に随行した藤原定家による『熊野御幸記(くまのごこうき)』建仁元年(1201年)10月10日の条にも、上野王子のことが記されているなど、中世の頃は宿所として重要な役割を果たしていたが、後に参詣道が移動したことにより江戸時代初め頃に現在の場所へ移ったと考えられる。
このように、熊野参詣の際の祭祀の場であったとともに、上皇や貴族の休憩所や宿所とされるなど、熊野参詣道紀伊路と深い関係を持ち、現在までその歴史を伝えている。民間信仰のあり方と併せて和歌山県の歴史を考える上で重要な史跡である。