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福勝寺境内(熊野参詣道 紀伊路) ふくしょうじけいだい(くまのさんけいみち きいじ)

ノーイメージ画像
員数 5,236㎡
地域 海草地域
所在地 海南市下津町橘本
指定年月日 平成24年7月20日指定
指定等区分 県指定
文化財分類 史跡
所有者 福勝寺

解説

熊野参詣道紀伊路から西へ150メートルほど離れた場所に位置する真言宗の寺院で、岩屋山(いわやさん)金剛寿院(こんごうじゆいん)福勝寺と号する。高野山無量光院(むりょうこういん)の末寺に当たる。藤白王子から藤白峠を越えて加茂谷(かもだに)へ下る途中にある橘本(きつもと)王子跡近くにある。境内は、山の南斜面を上下2段に削平して造成されており、上段には、本堂(重要文化財)とそれに接続された求聞持堂(ぐもんじどう)(重要文化財)や鐘楼(しょうろう)が並び、本堂の西奥には「裏見の滝」がある。下段には、庫裏(くり)と名号堂(みょうごうどう)が配置されている。
現在に至るまで檀家を持たない修験の寺であり、聖護院門跡や三宝院門跡の熊野入峰の際には、修行の場として利用されている。創建に関する資料はないが、寺伝では弘法大師の開山とされている。
本堂の建立年代は明らかでないが、堂内に永正9年(1512年)の墨書(ぼくしょ)が認められ、少なくともそれ以前に建築されたものである。建築様式からは15世紀後半の建立であると考えられる。江戸時代には、この本堂に接続する形で求聞持堂が建立される。求聞持堂には、紀伊藩初代藩主徳川頼宣の守り本尊「虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)」が安置されている。頼宣の祈祷所及び密教修法の場として利用されるなど、紀伊徳川家ゆかりの寺である。名号堂は浄土真宗に帰依する門徒によって建てられ、江戸時代後期に編纂された紀伊国の地誌である『紀伊国名所図会』挿図「橘本土橋邊の図」の左上にも描かれており、このことから江戸時代後期には当地に所在していたことが分かる。なお、名号堂には、蓮如上人直筆の六字名号(ろくじみょうごう)が御軸として保管されている。裏見の滝は『紀伊国名所図会』挿図にも描かれる高さ20メートル、幅30メートルの名瀑であり、江戸時代後期の景観をよく残している。
また、蓮如上人の熊野詣に際し、文明8年(1476年)に冷水浦(しみずうら)の住人である喜六太夫(きろくだゆう)(後の浄土真宗の僧である了賢(りようけん))が賀茂谷岩屋の観音(福勝寺)に参詣したとの伝承が残っている。
紀伊徳川家ゆかりの寺であるとともに、聖護院門跡や三宝院門跡の修行の場として利用されるなど、熊野参詣道紀伊路と深い関係を持ち、現在までその歴史を伝えていることから、和歌山県の歴史を考える上で重要な史跡である。

所在地