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和歌の浦 わかのうら

員数 895697.11㎡
地域 海草地域
所在地 和歌山市和歌浦中ほか
指定年月日 平成22年8月5日指定、平成26年10月6日追加指定
指定等区分 国指定
文化財分類 名勝
所有者 国ほか
管理団体 和歌山県

解説

和歌の浦周辺は、和歌川の河口付近に展開する干潟・砂嘴(さし)、丘陵地などから成り、万葉集にも詠われた和歌の浦の良好な風致景観を今に伝えている。神亀元年(724年)の聖武天皇の行幸に際して山部赤人が詠んだ「若の浦に 潮満ち来れば 潟(かた)を無(な)み葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る」の名歌に端を発して、都に住む多くの貴族にとって憧れの景勝地となり、和歌の歌枕として広く知られるようになった。
近世においては和歌山城主となった浅野氏や紀州藩徳川氏によって霊地として整備、名所として保護され、多くの人々が絵画に描かれた魅力溢れる美しい風景に惹かれて和歌の浦を訪れるようになり、日本を代表とする景勝地として知られるようになった。奠供山(てんぐやま)、鏡山(かがみやま)の頂から望むと石造のアーチ型の不老橋(ふろうばし)を目の前にし、紀三井寺が建つ対岸の名草山(なぐさやま)を背景に三断橋(さんだんきょう)の先に海禅院多宝塔(かいぜんいんたほうとう)が建つ妹背山(いもせやま)を擁し、片男波(かたおなみ)海岸の松原へと続く広大な干潟の風景が展開する。これに加えて和歌の浦は、玉津島神社・塩竃神社等の社寺建造物が点在する海の名所及び霊地と呼ぶにふさわしい風致景観が残されている。現在、妹背山、芦辺屋・朝日屋跡地、鏡山、奠供山、片男波は都市公園として整備と活用が図られている。

所在地