和歌の浦 わかのうら
構成要素 | 奠供山、玉津島神社境内地、天満神社境内地、東照宮境内地、妹背山と三断橋、芦辺屋・朝日屋跡と鏡山、御手洗池公園、塩竃神社境内地、不老橋 |
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地域 | 海草地域 |
所在地 | 和歌山市和歌浦中ほか |
指定年月日 | 平成20年6月24日指定、平成27年1月15日名勝解除 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 財務省、玉津島神社、天満神社、東照宮、海禅院、和歌山県、塩竃神社、和歌山市 |
解説
古来より名勝である和歌の浦は、大パノラマ空間の中に、海、川、砂嘴(さし)、干潟、島が存在する。片男波(かたおなみ)の砂嘴の外側には、波が打ち寄せ、内側には玉のように美しい六つの島である玉津島山(たまつしまやま)が連なり、名草山(なぐさやま)の山容が水面に静かに影を落している。
神亀元年(724年)、和歌の浦に行幸された聖武天皇は、景観に感動し、「弱浜(わかのはま)」を「明光浦(あかのうら)」と改め、春秋2回、官人を遣わし玉津島之神、明光浦之霊を祀った。同行した山部赤人は、「若の浦に 潮満ち来れば 潟(かた)を無(な)み 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る」(『万葉集』巻六・919番歌)と詠んでいる。これ以降、和歌の浦は都の貴族が憧れる地として、和歌の聖地、また歌枕として、名所となり、歴代天皇や貴族が訪れた。
近世には、和歌山城主となった浅野氏や徳川氏によって和歌の浦は、聖地・名所として保護・整備された。紀州藩初代藩主徳川頼宣は、父家康を祀る東照宮、母養珠院を祀る妹背山多宝塔(いもせやまたほうとう)を建立して、和歌の浦を聖域として整備している。
明治期からは「和歌公園」として和歌山県による整備と活用が図られ、平成20年(2008年)6月には県指定記念物(史跡・名勝)に指定され、保護保全が図られている。