四箇郷一里塚 しかごういちりづか
地域 | 海草地域 |
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所在地 | 和歌山市新在家 |
指定年月日 | 昭和15年7月12日指定 |
指定等区分 | 国指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 和歌山市 |
解説
和歌山城の外堀(現在の市堀川)に架かる京橋を起点として、ちょうど1里(約3.9キロメートル)の距離に設けられた道標である。元和5年(1619年)に紀州藩主として入国した徳川頼宣は、城下町の整備とともに、当時上方(かみがた)街道であったこの道路を整備し、嘉家作丁(かけづくりちょう)の町から八軒家(はっけんや)に至る道の両側に松並木を整備し、一里塚を築いた。
一里塚のうち、塚の状態で保存されているものは少なく、近世交通遺跡として貴重なものである。