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明恵紀州遺跡率都婆(神谷遺跡・糸野遺跡・吉原遺跡・筏立遺跡) みょうえきしゅういせきそとば(かみたにいせき・いとのいせき・よしはらいせき・いかだちいせき)

地域 有田地域
所在地 有田郡有田川町船坂、糸野、歓喜寺
指定年月日 昭和6年6月3日指定
指定等区分 国指定
文化財分類 史跡
管理団体 有田川町

解説

鎌倉時代の高僧である明恵上人の没後、嘉禎2年(1236年)に、弟子の喜海(きかい)らがその遺徳を偲び、明恵が修行した草庵(そうあん)の跡7か所と生誕地の計8か所に木製の卒塔婆を建立した。この卒塔婆は木製であったため朽損し、康永3年(1345年)に弁迂(べんう)が湯浅一族を勧進して石造の卒塔婆に改めたが、このうち7か所の卒塔婆が現存しており、これが「明恵紀州遺跡率都婆」である。
有田川町には神谷(かみたに)・吉原(よしはら)・筏立(いかだち)・糸野(いとの)遺跡がある。神谷遺跡は鷲が峰の中腹にあって、遠く西方に紀伊水道が見える景勝の地であった。ここにあった草庵で、明恵は大仏頂法(だいぶつちょうほう)を修行した。吉原遺跡は承安3年(1173年)に上人が誕生した地、筏立遺跡は建久9年(1198年)に白上から移って『唯心観行式(ゆいしんかんぎょうしき)』や『隨意別願文(ずいいべつがんもん)』などを著述した場所、糸野遺跡は正治2年(1200年)からの修行の地である。

所在地