糸我村の一里塚 いとがむらのいちりづか
| 地域 | 有田地域 |
|---|---|
| 所在地 | 有田市糸我町中番字鳥居 |
| 指定年月日 | 昭和33年4月1日指定 |
| 指定等区分 | 県指定 |
| 分類 | 史跡 |
| 所有者 | 有田市 |
解説
糸我王子から糸我峠を越える熊野参詣道は、有田川流域から湯浅へ通じる近道である。この道筋に1基の一里塚が残されている。「糸我村の一里塚」といって、江戸時代初期に築造されたものである。紀州藩が熊野街道を整備したおり、街道の1里ごとに道しるべの目標として塚を造り、塚の中央にクロマツを植えた。現在、東西両塚のうち西側の塚が残る。熊野街道沿いに現存する数少ない一里塚で、藩政時代の貴重な史跡である。