真田屋敷跡 さなだやしきあと
地域 | 伊都地域 |
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所在地 | 伊都郡九度山町九度山1413 |
指定年月日 | 昭和51年3月11日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 善名称院 |
解説
真田昌幸・信繁(幸村)父子の屋敷跡といわれる。昌幸・信繁父子は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に与したため、徳川家康の命で高野山に配流されたが、しばらくして山麓の九度山に移り住んだ。昌幸はこの地で慶長16年(1611年)6月4日に65歳で没した。信繁は父の死後も九度山に住んだが、大坂の陣に豊臣方として参戦し、慶長20年(1615年)5月7日の天王寺・岡山の戦いで戦死した。この父子の屋敷跡と伝えられるこの地はかつての歴史を偲ばせている。