勝楽寺境内(熊野参詣道 紀伊路) しょうらくじけいだい(くまのさんけいみち きいじ)
員数 | 1,224平方メートル |
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地域 | 有田地域 |
所在地 | 有田郡湯浅町別所165 |
指定年月日 | 平成24年7月20日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 勝楽寺 |
解説
境内に熊野参詣道紀伊路が通る浄土宗の寺院で、白鳳山(はくほうさん)勝楽寺と号する。広川(ひろかわ)右岸の白潟(しらかた)(白方)と呼ばれる低地を望む青木台地に位置し、熊野九十九王子の一つである久米崎(くめざき)王子が近くにある。現本堂はかつて庫裏(くり)があった場所に仏像を安置する収蔵庫も兼ねて建てられている。
創建年代は平安時代末と伝えられており、その頃から鎌倉時代にかけて隆盛したこの地の土豪湯浅(ゆあさ)氏の保護を得て興隆し、荘厳な伽藍であったという。かつては広大な寺域を占めていたが、現在はその一部をとどめるのみである。このことは、現在の周辺地域に当時の堂塔の名前が地名として使われていることからも窺える。後鳥羽院の建仁元年(1201年)の熊野御幸に随行した藤原定家による『熊野御幸記』で美しさが賞賛されている名勝「入江松原」はこの場所であるとも考えられる。
熊野参詣道紀伊路は、湯浅荘で台地側を進む道と西側の低い道とに分岐する。台地側の道は当初の道であり、西側の道は熊野参詣が盛んになった頃に湯浅氏により開かれた道である。これらの道は白潟のあたりで合流し、勝楽寺の境内に入り、久米崎王子へと通じている。二手に分かれた熊野参詣道が合流する重要な地点にある寺院であることも特筆できる。また、平安時代末期に書かれた吉田経房の日記である『吉記(きつき)』や鎌倉時代に書かれた藤原頼資が熊野詣を行った時の日記である『頼資卿熊野詣記(くまのもうでき)』では、上皇や貴族の熊野詣での途次の宿所とされていたとの記述がある。