中世農耕用水路跡文覚井 ちゅうせいのうこうようすいろあともんがくゆ
地域 | 伊都地域 |
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所在地 | 伊都郡かつらぎ町笠田中・笠田東・萩原 |
指定年月日 | 昭和47年4月13日指定、平成22年3月30日所在地錯誤訂正 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 文覚井水利組合 |
解説
宝来山(ほうらいさん)神杜の東裏手に文覚(もんがく)上人が開削したと伝わる文覚井がある。この用水路は、神社の北方の静川(しずかわ)から取水し、山を越え萩原(はぎわら)付近の水田までの約5キロメートルに及ぶもので、幅は平均1.2メートル、深さ50~60センチある。
後白河法皇は文覚上人の要請を受け、京都の神護寺に荘園を寄進した。その中に桛田荘(かせだのしょう)も含まれており、荘園の更なる発展を図るため、農耕用水路開削を思い立って完成させたのが、文覚井であるという伝承がある。