和歌山城 わかやまじょう
地域 | 海草地域 |
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所在地 | 和歌山市一番丁3ほか |
時代 | 安土桃山~江戸時代 |
指定年月日 | 昭和6年3月30日指定、平成30年10月15日追加指定、令和元年10月16日追加指定、令和2年10月6日追加指定、令和3年10月11日追加指定、令和4年11月10日追加指定、令和5年9月28日追加指定 |
指定等区分 | 国指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 和歌山市 |
解説
天正13年(1585年)、羽柴秀吉が紀州攻めを行い、帰陣直後に紀州支配の中心として、吹上峰(ふきあげのみね)を城地と定め、弟秀長に築城を命じた。その後、秀長の城代として桑山重晴が在城し、慶長5年(1600年)に浅野幸長が関ヶ原の戦功により和歌山城主となり、本格的に和歌山城の増改築に着手した。
元和5年(1619年)に徳川家康の第十子頼宣が55万5千石を領有して入国した後、二の丸や西の丸の整備など城の拡張が行われ、御三家の一つである紀州徳川家の居城としてふさわしい壮大な城郭となった。弘化3年(1846年)7月26日、天守閣に落雷があり、大小両天守・櫓・蔵・多門を焼失し、嘉永3年(1850年)に再建されたが、昭和20年(1945年)7月の和歌山大空襲によって再び焼失した。昭和33年(1958年)に嘉永3年再建時の外観で復元、平成17年(2005年)に御橋廊下(おはしろうか)が復元された。