関口新心流 柔術・居合術・剣術 せきぐちしんしんりゅう じゅうじゅつ・いあいじゅつ・けんじゅつ
地域 | 海草地域 |
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所在地 | 和歌山市 |
指定年月日 | 平成22年3月16日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 無形⽂化財 |
所有者 | 関口芳夫 |
解説
関口新心流は、柔術を根幹とし、居合術と剣術の三術を有する総合武術の流儀で、関口弥六右衛門氏心(関口柔心、1598~1670)によって創設された。関口柔心は、廻国修行をしながら自らの技に工夫を凝らし磨きをかけ、「柔」の技を大成したと伝えられ、紀州徳川家に知遇を得て和歌山城下に居を構えた。初代藩主・徳川頼宣は柔心の武芸を深く尊重し、江戸時代を通じて代々関口家の当主が紀州藩の「御流儀指南」として仕えた。また、関口新心流の隆盛に伴って、江戸時代を通じて諸国に関口の名を冠した武術が伝播(でんぱ)し、各地に分派が発生した。
関口新心流の基本は、柔らかい力の使い方を養い、相手の力に逆らわず流れるごとく対処し勝を制するものといわれ、柔術86本・居合術32本・剣術8本が伝承されている。また、関口新心流の各技は、攻撃側の「捕」と相手側の「受」の2人により動作が行われ、畳や床の上での挙動を状況設定の基本とし、攻撃を仕掛けてきた相手の力を受け止め、重心移動により相手の力を逆利用して技を極めるなど、単に技の形の習得のみならず、実戦の相手を意識した技の構成となっている。