天誅組志士幽閉の倉 てんちゅうぐみししゆうへいのくら
地域 | 西牟婁地域 |
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所在地 | 田辺市龍神村小又川27 |
指定年月日 | 昭和43年4月16日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 田辺市 |
解説
江戸時代末期の文久3年(1863年)、尊王攘夷派の天誅組は中山忠光(明治天皇の叔父)を擁し、孝明天皇大和行幸の先駆けをなそうと大和国五條代官所を襲撃したが、幕府の追討を受けて壊滅した。その一味、水郡長雄(にごりながお)以下8名は十津川からこの地に落ち延びたという。しかし、警備が堅固で進退窮まったため、小又川(こまたがわ)にあった紀州藩屯所に自首し、京都に護送されるまでの間、百姓喜助宅の土蔵(どぞう)に幽閉された。
現在の倉は昭和39年(1964年)の大雨で倒壊した後、復原されたものであるが、郷土の近世史を研究する上で貴重なものである。